シン・エヴァの感想
シン・エヴァの感想
先日見て来ました。記憶が新しいうちにネタバレガッツリで感想を書きます。
個人的には作品単品の点数は 65点 - 70点くらいで、 感情移入がかなりできませんでした。
ただ自分の年齢と同じくらい続いた作品を終えたという点は大変立派だなと。
あ、読めばわかると思いますが怪文書です。
目次
- テーマ:ガキと大人
- テーマ:親と子
- テーマ:命の軽さと重さ
- ご都合主義 / 唐突な展開
- おわりに
- 蛇足
- 作品を見る時の「作品のバックグラウンドまで見るのかどうか」
- 全体のメッセージングに対して
感想
テーマ:ガキと大人
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
(以下、シンヴァ)はシリーズ最後の作品ということもあり、
かなりメッセージングが強めの作品だったというのは
既に見ている方々であればご存知の通りだと思います。
その中でも「子供と大人」(あえてガキとタイトルでは書いてますが)というのは、
作品の主軸となるテーマだったと思います。
昔からエヴァは大人と子供の対比が強く出ている作品だと思いましたし、 今作でもその構図は変わっていなかったと思います。 また、直接的にアスカが何度もシンジのことを「ガキ」と呼んでおり、 かなりストレートにその構図を出す表現がされていました。
若干脱線しますが、 このアスカがシンジを「ガキ」「ガキ」言いまくってキレてた理由は、 劇中で語られた通り、アスカが暴走した際に「殺す・殺さないを選ばない宙ぶらりんな選択をしたため」というものでした。 かなり無茶というか、「そんなことで14年キレてたんかこいつ?」というもので、 正直頭を傾げてしまいました。
ただこのキレていた理由ですが、 「ミサトが Q の時にシンジのチョーカーを爆発させるか迷った場面」のリフレインみたいな状況を暗喩で表現する (つまり、ミサトもシンジも子供のような選択をしているということの暗喩の)ために選ばれた理由なのかなと、 感想を書いている今は思います。 実際、リツコがミサトに対して 「ミサトは感情的に行動するとろくなことにならない」と言った感じの小言を言っていましたし、 これはおそらく、「感情的」みたいな部分をガキとして表現し、 理知的になれ・大人になれと言うメッセージングを入れてるように思えます。(考えすぎ?)
とはいえですよ、 それを表現するにしたって意味のわからんキレ方を14年間してたと思うと謎すぎますし、 感情移入ができませんでした。
テーマ:親と子
こいつもかなり強めのテーマでした。
- シンジとゲンドウ
- シンジとユイ
- トウジと息子
- ミサトと子供(名前忘れた)
- アスカ(と親がいないと言う表現)
とにかく親子関係の描写をこれでもかと入れてこのテーマについて書かれていました。
この点に関しては作品のバックボーン的に(ゲンドウの目的からして)、 落とし所を作るためには避けて取れないようなテーマだと思うため、 他のテーマに比べて"強く"ネガティブに感じる点はなかったように思います。 逆に言うとボチボチなテーマでしかなく、 特別良かったとか、悪かったと言う感想は出てこなかったです。 (あんな数秒出て来たミサトと子供の関係に感情移入できないでしょ...)
そんなことよりも、本丸親子の喧嘩、シンジ vs ゲンドウの場面で亜空間のに行って瞬間移動したり、 場面を切替まくりながら戦闘するのは正直ついていけませんでした。 特にゲンドウが「ここは暴力で解決する場ではない」みたいなことを言い始めた時は 「んなことわかってんなら序の段階で話し合えやボケ」 「お前がそれ言うんか」という感想しかでませんでした。
それと場面が移り変わりまくるところで家の風景が出たときは 刃牙の親子喧嘩のシーンが頭の中でずっと駆け巡ってなんとも言えない気持ちになってました。
あの戦闘シーン、背景を何度も変えるところで舞台セットを何度か出してましたが、 これは仮想(アニメ)であると言うのを強調したいのか、 それの対比として「これは仮想だからお前らさっさと現実みろ」と言う監督からのメッセージング / メタファーなのかと 変に勘ぐってしまいチープな感想しか出て来ません。
ああ、書いてると無限に脱線して感想が出て来ますね・・・。 少なくともライトにエヴァを見ていた層(一応アニメ、旧劇、漫画などは目を通している)としては すごく置いてけぼりというか、すれ違いというか、感情が入って行きませんでした。
めっちゃ脱線しましたが、 要するに親と子というテーマはそれなりに表現されていましたが、 亜空間戦闘がまあ自分に合わなかったということです。
テーマ:命の軽さと重さ
これも「親と子」と言うテーマの中で書きたかった物の一つなんだろうというのは察せました。
例えば「こんな世の中じゃ死は軽い」みたいな感じの話があったと思うんですが、 それと別で「日常の繰り返しが大切」と言うのを何度も刷り込むように書いていました。
また新しい子供が生まれること、赤子の可愛さ、労働の喜びみたいなのを表現し、 空っぽの綾波が生きる大切さみたいなのを学んでいく表現であったり。
他にもミサトが子供のために自身の命を最後に捧げる部分も 命の軽さ・重さを表現するための表現として出ていたと思います。
とはいえですよ? 綾波をあんな雑に殺すのは本当に意味がわからないし、 ミサトの死も死ななくてもなんとかなっただろうと思うし、 兎に角雑に殺しすぎてて呆れました。
キャラを殺すことを安易に取りすぎてるというか、 現実並みに雑に死にすぎでしょと。
現実見ろというメッセージングをしたいのであれば、 逆に仮想の中くらい仮想らしく正しく殺せという気持ちでいっぱいです。 キャラを殺すのであればそれ相応の意味のある死をキャラクターにあげるべきです。
ご都合主義 / 唐突な展開
前のテーマですでに漏れてしまいましたが、
- シンジを立ち直らせるために綾波を雑に殺したり
- 親子(シンジとゲンドウ)の歩み寄りのきっかけがないからと雑に「ここじゃ暴力では解決しない」みたいなこと言わせたり
- 急にロンギヌスの槍の代わりで出て来たヴンダーのあれ(唐突すぎ)
- 余りにも唐突なマリルート
あたりはかなり粗雑な印象を持ちました。 あれで感動するかというと感動しないでしょと。
終わりに / まとめ
と、ここまでかなり辛辣なことばかり書いてますが、 一方でシリーズを終えるという重圧であったり、 ファンが死ぬ前に終わりにたどり着けた というのは余りにも素晴らしいことだと思っています。
普通に考えれば 25年間続いて来た作品をちゃんと終えるというのは余りにもストレスでしょうし、 クリエイターからしても絶対やりたくない仕事だと容易に想像できます。 自分がその立場だったら速攻転職しますよ。
そう言った点を加味すると、 ある程度自分に合わない部分もありましたが、 それらをまるっと含めても「シリーズをちゃんと終わりに導いた」というのは ただただ素晴らしいことだと思いますし、尊敬できることだと思います。
作品単品の自分との合わなさはやはりありましたが、 一個人としては感慨深い気持ちになりました。
とは言え、綾波などをあんなに雑に殺したのだけは納得してないですけど。
蛇足
作品を見る時の「作品のバックグラウンドまで見るのかどうか」
これは完全に脱線した話ですが、 この「作品が長く続いた」「それをちゃんと締めた」と言った、 作品のバックグラウンドにある部分を含めて作品を見ることって、 適切なのだろうか?というのを感想を書いていて疑問に思いました。 例えばゲルニカも作品の背景などがなければおそらく殆どの人は 意味を理解せず、低い評価をつけると思います。(多分)
つまり我々読者・視聴者などのコンシューマーは、 作品を見るときにその作品の純粋な「それ自身の価値」を評価するべきなんでしょうかね。 それとも、作品自体 + それに付随する情報にを見るべきなんでしょうかね。 どちらがより高尚な見方なんでしょうか。 どうでもいいか
全体のメッセージングに対して
あれだけいっぱいメッセージをいただきましたが、 この作品を見る前から親に畏敬の念を抱いていましたし、 命の軽さと大切さ、現実を見て汗水たらして日銭を稼ぐ大切さというのは 身にしみて実感していました。
なので、本当に恩着せがましいというか、「うっせえわ」という感情を抱いたりもしました。